・・・・・・・合気ニュースDVD先進の武道より転載・・・・・・・・
合気道は、開祖植芝盛平先生において、世に出された武道でございます。
植芝先生は常々、「合気道は日本の武道を正す、そのために生まれてきた武道である。」と、こう言われております。これは当然の事で、他人を倒せば勝ちとする、倒せば良しの武道から、合気道は人を作り育てる武道であると、このような大きな方向転換をした武道でございます。
当然、技術においても、その表現方法を大きくこだわっておりました。
無論、その内容の精巧さというか、技の精巧さというか、こういうものは、かつて私がやりました柔道、空手の世界では無い、その形を持っております。
そして私もこれ(合気道)に入りまして約五十年…ところが、約十年ほど前から、日本の武道の世界において、「合気道は武道では無いのではないか」という様な声が、一部上がっておりました。
当然その頃の合気道の世界は、“昔はこうだった…”このような形において、ただ昔を踏襲する、これだけの稽古であった訳でございます。
ですから私は、これは当然、このままで行くならば、いつかその批判が本物になるんじゃないか、という心配をしておったのでございますが、ここへ来まして、はっきりとその声が大きく武道界に広がり、また外国 においても、その様な声が上がってまいります。
ただ我々は、その時から、大先生のこの言葉を何とか、現在に伝えていきたい、また我々自身も修行の一つとして、当然のごとく開祖の言われたその言葉の実現、これ(が)一番大事であるという考えから、開祖が常に言っておりました「合気道の徒手は、そのまま剣を持てば剣、仗を持てば仗、あらゆる武の再現が可能である。」で、その考え方が、日常社会においても必要である。
全くそういう観点から我々は、この追求に今日まで努めておりました。ですから我々の稽古は、あらゆる徒手の稽古はそのまま剣・杖に転化していきます。
これからの、このビデオの収録にあたりまして、我々のその稽古を、これから伝えていきたい。
我々の稽古は一般の合気道の表現と違いまして、必ず一つの徒手の基本から、剣・杖と、こういう形で転化していきますので、その内容をご覧になって頂きたい。
またもしこれが、下らないなと、思うものがあったらば、捨て去って結構です。
また、皆さんがそれが成る程と、思うことがあったならば、またそれを皆さんで修行してもらいたい。
この様に考えております。
植芝先生は常々、「合気道は日本の武道を正す、そのために生まれてきた武道である。」と、こう言われております。これは当然の事で、他人を倒せば勝ちとする、倒せば良しの武道から、合気道は人を作り育てる武道であると、このような大きな方向転換をした武道でございます。
当然、技術においても、その表現方法を大きくこだわっておりました。
無論、その内容の精巧さというか、技の精巧さというか、こういうものは、かつて私がやりました柔道、空手の世界では無い、その形を持っております。
そして私もこれ(合気道)に入りまして約五十年…ところが、約十年ほど前から、日本の武道の世界において、「合気道は武道では無いのではないか」という様な声が、一部上がっておりました。
当然その頃の合気道の世界は、“昔はこうだった…”このような形において、ただ昔を踏襲する、これだけの稽古であった訳でございます。
ですから私は、これは当然、このままで行くならば、いつかその批判が本物になるんじゃないか、という心配をしておったのでございますが、ここへ来まして、はっきりとその声が大きく武道界に広がり、また外国 においても、その様な声が上がってまいります。
ただ我々は、その時から、大先生のこの言葉を何とか、現在に伝えていきたい、また我々自身も修行の一つとして、当然のごとく開祖の言われたその言葉の実現、これ(が)一番大事であるという考えから、開祖が常に言っておりました「合気道の徒手は、そのまま剣を持てば剣、仗を持てば仗、あらゆる武の再現が可能である。」で、その考え方が、日常社会においても必要である。
全くそういう観点から我々は、この追求に今日まで努めておりました。ですから我々の稽古は、あらゆる徒手の稽古はそのまま剣・杖に転化していきます。
これからの、このビデオの収録にあたりまして、我々のその稽古を、これから伝えていきたい。
我々の稽古は一般の合気道の表現と違いまして、必ず一つの徒手の基本から、剣・杖と、こういう形で転化していきますので、その内容をご覧になって頂きたい。
またもしこれが、下らないなと、思うものがあったらば、捨て去って結構です。
また、皆さんがそれが成る程と、思うことがあったならば、またそれを皆さんで修行してもらいたい。
この様に考えております。
1996年 西尾昭二